第8回 素晴らしき哉、農業人生!(押谷ファーム)
異業種からの新規就農と聞くと、どんなイメージを抱くでしょうか。
理想の暮らしを手にするバラ色の人生か、めくるめく困難に立ち向かうイバラの道か…。
第9回農業賞で優秀新規就農者賞を受賞した押谷ファームの押谷志都香さんに“奥様から見た”就農からの20年を振り返ってもらいました。
取材・文/長谷川圭介
撮影/工藤了
甘くない新婚時代
「政略結婚です」。
お二人のなれそめについて聞くと、志都香さんは開口一番ケラケラと笑いました。
当時、志都香さんは札幌のお花屋さんに勤めるフローリスト。押谷行彦さんは新規就農を目指して研修の真っ最中。それぞれの知人を通じて二人は出会いました。
「第一印象は、食をつくるという自分の夢に対して熱い思いを持った素敵な方だなって。私自身にも独立志向があって、将来的にお花屋さんとして独り立ちしたいと考えていました。自分一人ではできないかもしれないけど、夢に向かって突き進む人になら理解してもらえるし、一緒にやれるんじゃないかっていう期待もありました。
それに主人としても、その頃は結婚していないと農地が手に入りにくい時代だったから、農家になるために絶対にパートナーが必要だったんですね。…ということで政略結婚です」。
政略結婚は半分照れ隠しでしょうが、二人は互いに強くひかれ合い、出会ってから3カ月で結婚。時を同じくして新規就農を果たします。
「それは、苦しい時代の幕開けでした」。
「甘い新婚生活なんてまったくなく、すぐに仕事が始まりました。土地もない。お金もない。主人は違いましたが、私には覚悟もない。農業がこんなにもたいへんだとは思ってもみませんでした。最初に借りた土地は水はけがあまりにも悪くて野菜がうまく育ちませんでした。雨が降っている中、二人で短パン・Tシャツ姿で裸足になって収穫したのを覚えています。何も分からず、ついていくのに必死で、その頃は部活の先輩・後輩みたいだったな」。
「先が見通せない中で自分も少しは助けになったらと、春先の収入確保のために花苗の生産を始めました。花苗を育てる技術はなかったので試行錯誤の連続でしたが、世の中で求められている花色とか、これから流行りそうな花の種類とかはキャッチできたので、そういう部分ではお花屋さんの経験が生きたのかもしれませんね。主人としても、私に趣味の園芸をさせようなんて気持ちはなく、『ハウスを借りる以上はきちんと利益を出しなさい。そうじゃなければ返してもらうから』というスタンスで、私にとって厳しい上司そのものでした」。
その後、志都香さんは持ち前のバイタリティーを発揮して年々ハウスの棟数を増やし、最大で約150種類、年間4万鉢まで生産規模を拡大していきました。
夢のガーデン
さて、押谷ファームといえば、書籍『畑でレストラン』の表紙を飾ったオープンガーデンでも有名です。その始まりは15年前、行彦さんがアスパラ畑として使っていた敷地の一部(といっても450坪もあります)を『庭にしていい』と志都香さんに託したことからでした。
「お庭を造るのが夢でした。花苗やアスパラを求めてうちに来てくださるお客さまを、季節の花々でお迎えできたら素敵だなって思っていたんです。主人から土地を任せてもらえたことは夢の大きな一歩でしたね」。
こう志都香さんが言えば、行彦さんは苦笑いで続けます。
「場所を譲ることにしたのは僕の技術が未熟なせいなんです。ちょうどここは防風林に面していて、春先や秋口には10メートル近く日陰になり、作物が育ちにくい条件がそろっています。以前はここにアスパラを植えていましたが、どれだけがんばっても太くならない。それでアスパラを掘りあげてここを渡したんです。もしそのときに同じ条件下で太いアスパラを作る技術が僕にあったら、多分このまま農地として使っていたでしょうね」。
ところが、農家にとっては「やっかいもの」のこの防風林は、のちにかけがえのない縁をもたらしてくれることになります。
オープンガーデンを始めて7年がたった頃、志都香さんは壁にぶつかっていました。
たくさんのお客さんからお褒めの言葉をかけてもらっていたものの、やはり独学。思い通りにいかないことも多く、畑仕事をしながら大きな庭を管理することに限界を感じ始めていました。
スキルアップのためにさまざまな講習会に顔を出していたある日、志都香さんは講師として招かれていた造園家・山本紀久さんと話す機会を得ます。山本紀久さんといえば東京ディズニーランドの植栽設計を手掛けるガーデン業界の重鎮。その山本さんが防風林に興味を示してくれたのです。
「北海道には里山があまりない。けれど、防風林の存在が農家にとっての里山代わりになるんじゃないか」。
それ以降、山本さんは何度も長沼を訪れ、押谷さん夫婦とディスカッションを重ねながらガーデンのコンセプトやレイアウトをイチから組み直していきました。夫婦の20年先までも見越した植栽、訪れる人をワクワクさせる動線、木々の剪定にいたるまで、山本さんは事細かにアドバイスをしてくれました。
ガーデンは徐々に生まれ変わりました。野鳥がさえずる防風林を借景に取り込んだガーデンは、美しい花々によって季節ごとに表情を変え、訪れる人々を笑顔にしました。そして何より志都香さん自身を。
「先生(山本さん)は、ほかの誰でもない『私たちのための庭』というコンセプトを導き出してくださいました。私たちは仕事柄、気候のいい時期に出かけることができません。でもお庭があることで、ここに居ながらにして季節の移ろいを知ったり、風景を感じることができます。忙しく働く私たちに癒やしを与え、心に豊かさをもたらしてくれます。お庭自身が私たちにとってのプライドの芯になっています。そして、人を集めるのに一役買ってくれてもいます。私たちにとってこのお庭は、幸せな農家のあり方、ライフスタイルを映す鏡なんです」。
農家、バンザイ!
志都香さんは昨年、新たな挑戦を始めました。かき氷の販売です。ただのかき氷ではありません。押谷ファームのブルーベリーやイチゴ、トウモロコシ、トマトを削った食材100%のフワフワかき氷です。
「アスパラを買いにわざわざ来てくださったお客さまに、その場で食べられる何かをご提供したいと考えていました。せっかくなら自分たちが育てた野菜や果実をムダなく使いたい。それで、かき氷を思いついたんです。かき氷が生まれたことで、これまではあまりいらっしゃることのなかった若い方や家族連れが増えました。小さな子がかき氷を食べて、お庭で遊んで、ちょうちょを追っかけて。これまでも『子どもたちにとって農家が身近な存在になってくれたら』と願ってはいたんですが、なかなかお庭だけではそれを実現できませんでした。かき氷はそのために作ったものじゃなかったけど、結果的に子どもたちにとって農業にふれる入口となってくれたのなら、すごくうれしいですよね」。
かき氷の開発を機に、志都香さんは「何かをリセットしないと新しいことが中途半端になってしまうから」と就農当初から続けてきた花苗の生産を一区切りしました。
「花屋になって、ガーデナーになって、今はかき氷屋になって…。周りからは飽きっぽいと言われますよ。どうして一つのことを極められないんだろう?と悩んだ時期もありました。でも今はそれでいいと思っています。何か一つのことで生きるより、あれもこれも、たくさんの引き出しを持っている方が今の時代には合っているし、自分の世界も広がります。そして、好きなことを突き詰めたいと願うときに農業という土台があることは、すごく恵まれていると改めて思うんです」。
2000年に就農し、今年で21シーズン目。夫婦2人から始まった押谷ファームは、パートさんを含めておよそ10人の大所帯に。これまでに5人の卒業生(新規就農者)が巣立っていきました。
「最初は私自身、主人の弟子みたいだったけど、共同経営者になって経営の上でもパートナーになって、ある面では相撲部屋のおかみさんみたいな役割も担ったり。仕事のことで主人とケンカすることはしょっちゅう。いつも激論だよね。私もこの20年でずいぶん鍛えられました。主人が私を強くしてくれました」。
「私はもともと農家になりたかったわけではないけれど、食をつくるという仕事は生きることと切り離せない大事な仕事です。その一方で農閑期があるから余白の時間に別の何かにエネルギーを注ぐこともできる。農業ってすごく面白いし、とてつもない可能性のある仕事だと、本当に胸を張って言えます」。
押谷ファーム
長沼町東3番線北13番地
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