Vol 16. 美食倶楽部(Gastronomia Society)~地域コミュニティとしての役割~
美食倶楽部」は美食ばかりを食べているとは限らない?~男性が気楽に集まるプライベートな集会所~
バル巡り中にたまたま、とある美食倶楽部の会長さんに出会い「明日美食倶楽部行くんだけど来る~?」と、お髭の陽気なおじさま(ゴルカさん)にお声かけ頂いたので、こんなありがたいチャンスはめったにないと、お言葉に甘え、BCCでのランチを巻きぎみで切り上げ、急いでそのおじさんが主催する美食倶楽部へ。伺わせていただいた美食倶楽部は、「AMAIKAK-BAT(アマイカ・バット・キロル・エルカルテア)というSociety。
「美食倶楽部」が最初に生まれたのはサンセバスチャンと言われている。19世紀後半、スペイン王妃マリア・クリスティーナがサンセバスチャンを保養地として訪れて以来、町は拡張され、王室や貴族の避暑地として、工業、商業、漁業、観光業が作家得て行った。当時一般庶民はシドレリア(リンゴ酒を飲めるレストラン)とバルで交流し、ソドレリアは郊外へと移転。街の中心は、バルだけが残った。その数は増えていったが、同時に住人たちからの苦情も多くなったり、営業時間が規制されるようになった。そこで時間を気にすることなく、自由に交流できる場所が、「美食倶楽部」だったのだ。「美食倶楽部」というと、とっても手の込んだお料理を、男性だけが秘密裏に作り、食べている、何とも特別な存在なのだと勝手に想像していたのだが、そこは全く違った。美食倶楽部とは、正式名称は「Gastronomia Society」。会員制の組織で、男性だけが入会できる。会には、会員の家族や友人を招待することもできる。どこの会に入るかは、基本的には自分が入りたいところに入れるが、二人以上の推薦状が必要。組織の運営に関しては問題点も発生している。人気のSocietyは数年待ちというところがあるものの、世襲性をとっているところは男の子のお子様が生まれなかった場合、娘さんがその権利を主張して、本来の「女性禁制」の制度の維持が難しくなっているところもあるとのこと。バスクでも高齢化・少子化の問題がSocietyにまで波及していた。
私が伺ったsocietyは、入会金として1,500€、年会費250€を支払う。人種は関係ない。日本人の方も入っていた。基本的には、その地域に住んでいることが必須。また毎回食材は自分達で調達し、テーブルクロス、お皿の洗浄代などはその都度会計して支払う仕組みになっている。キッチンには男性しか入れず、御皿洗いも自分たちでする時はもちろん男性のみ。女性が伺ったときは何もしなくていいのが最高らしい。確かに最高だった。
そもそもなぜこの土地に世界的にも珍しい「男性だけの食の倶楽部」が生まれたのかと言うと、バスク人は何やら女性が強いらしく、キッチンにはなかなか入れさせてくれないらしい。もともと食べることと料理を作ることが好きだったバスク人の男性は、だったら自分たちがいつでも行って気軽に楽しめるキッチン付きの会場を備えた場所を作ってしまおうということで、気の合う仲間たちが集まれる場所を作ったとのこと。また奥さんにとっても、男性だけが集まる組織であれば、浮気の心配がなく、好都合とのこと。結局バスクの男性は女性の掌の上で泳がされているのだと思った。そして、バスクに行って感じたのだが、バスクはバル文化の街。立ったままサクッと食べるスタイルが一般的で、日本の飲食店のようにゆっくり座って食べられるお店は、きっちりとしたレストラン以外ない。そのため、好きな料理を好きな時に好きなだ、好きな話をしながら味わえるのは、正に「Gastronomia Society」のみだと思われる。
そしてメニューも何か特別なものが食べられているわけではなかった。この日は2組方々が利用されていたのだが、一組は、クルミと地元で有名なオリーブオイルで揚げてサックリ&さっぱり感がたまらなく美味しいポテトチップスと、これまたバスク地方や野菜が美味しくて有名なナバラ地方の名産である赤ピーマンの缶詰や瓶詰、これをチャコリなどを飲みながら数時間を過ごしていた。もう一組が、私にお声掛けいただいた「ゴルカさん」たち。塩味がとっても優しく、体に染み渡る野菜スープやタラのフライ、チーズなどたっくさん。となりのおじさんたちから、クルミやポテトチップス、オリーブをいただき、「食べて食べて」と言われ、さっきBCCで7皿以上のランチをいただいてきたのに、これはさすがにまずいと思いながらも、美味しくいただいた。
そこでびっくりしたのが、彼ら料理談義。この日、ゴルカさんが腕を振るったスープについて、「僕の家は、玉ねぎの他に長ネギを入れるよ」「家は、小さな玉ねぎを切らずに入れるよ」など、自家製のスープや、こうしたらスープは美味しくなるなど、数十分真剣に話しているのである。日本で言うと「味噌汁」の作り方についてお話しているのと同じ感覚。実に楽しそうにお話しているのである。日本ではちょっと信じられない光景だったので、いつもお料理のお話をしているのか伺ったところ、「バスクの人は食べることと、料理を作ることが大好きだからね。それと討論もね」と笑顔でお話してくださった。
食べることと料理をすることが大好きだという食文化の背景と、政治的・文化的背景があって必然的にこの「Gastronomia Society」が生まれたのだな~と感じた。そして、この仕組みは今後の日本の食の在り方の参考になると感じた。配食事業は「個食」への対応を実現した。今後は家族との食事をとることが出来なくなっても、気の合う仲間と食事がとれる場と食材の提供、つまり「共食」への対応が今後、コープさっぽろとして出来るのではないかと思った。しかしこれは単純に仕組みを整えたからと言って実現するものではないことも同時に感じている。伺ったSocietyが設立されたのは1881年。135年もの歳月をかけて気づきあげてきた食文化である。キッチンスタジオを含めた既存の事業の活用からまずチャレンジするのもいいと思う。
※雑誌「GOLD」2014年3月号P,156記事と取材を元に作成
2016年3月2日(火) 星野浩美